R6年度群馬県隊友会藤岡支部懇親会

 

令和6年5月12日1200~1400、割烹「松むら」において群馬県隊友会藤岡支部懇親会が開催され、24名が参加した。

来賓として藤岡市長新井雅博、藤岡市議会議員大久保協城様が参加された。

お二人は毎回参加され、隊友会特別会員でもあります。

本日は藤岡市政70周年記念行事イベントが市役所教育庁舎地区で行われ、市長は抜けての参加であった。

挨拶の後、会員等にビールを注ぎ、その後公務に戻られた。

本日は宮沢会員の送迎のおかげで、ノンアルコールではない本物のビールを飲むことができ、充実した懇親会であった。

懇親会の最中に零戦生みの親、堀越二郎氏の胸像が教育庁舎地区にあることを聞き、帰りに寄ることにした。

昨年来、堀越二郎氏は藤岡市に生まれたことから記念館等でも建てたいとの声が聴かれていた。

戦後GHQにより航空機に携わることが禁止されていたことから航空技術者は鍋・釜等を作って耐え忍んでいたことを聞いたことがある。

戦後初の国産の旅客機YS-11を設計し、日本の復興に大きく貢献したことはだれもが知っている。

堀越二郎氏は私が防衛大学校在学中(1966~1970年)には、私は電気工学教室出身でお目にかかったことはないものの、航空工学教室に教授として在籍しておられたと思います。

教育庁舎地区は旧藤岡高校の建物等を再利用したものである。

教育庁舎地区に行くとまだイベントの真最中で和太鼓の演奏、自衛隊の募集活動等が行われていた。

男子高校生ではなく女子高校生ではあるが陸、海、空の制服を着ながらジープの前で記念写真を撮っていた。

スマークで行われた「働く車」のイベントでは幼稚園児、小学生の低学年の生徒ばかりとは違って、非常にうれしい光景であった。

担当の自衛官も生き生きして活動していた。

旧藤岡高校の体育館は丹下健三氏の設計によるもの、素晴らしい建物であった。

群馬県には岩佐直治中佐、鈴木貫太郎戦前最後の首相、堀越二郎航空技術者、私が最近知りえた人以外にまだまだ知らない偉人がたくさんいると思う。

郷土群馬を誇りに思います。

懇親会挨拶

群馬県隊友会会長の小島健二です。

皆様方の日頃からの群馬県隊友会活動に対するご支援ご協力に対し、深く感謝申し上げます。

昨年に引き続きの総会・懇親会開催、おめでとうございます。またご招待頂き、ありがとうございます。

さて、隊友会は社団法人から公益社団法人に生まれ変わり十数年が経ちます。

現在私が最も重要であるが、難しいと思っておりますのは、公益目的事業の拡充推進であります。藤岡支部は市の依頼を受けパトロールを実施していると承知しています。

地方自治体の支援は、もちろん公益目的事業となります。引き続き自衛隊OBの存在を顕示していただきたいと思います。

県本部と支部との意思疎通をさらに図り、県の事業を円滑に推進していきたいと思っています。

また、私は「防衛意識の高揚」は隊友会の役割・使命の最も重要なものであると確信しております。

身近な家族、友人、町内会等から機会を捉え「防衛意識の高揚」に努めていただきたいと思います。

私は日本に生まれたことに感謝していますし、日本人であることに誇りを持っています。

このことを原点に群馬県隊友会長として頑張っていく所存であります。

引き続きよろしくご支援お願いいたします。

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