12月8日(日)午後2時から前橋市内松竹院(本堂)において岩佐中佐の追悼式が行われた。
拝礼、御挨拶、慰霊の読経・お焼香、慰霊の献歌でした。
御挨拶では、親族の方の世界の紛争を嘆かれていた事が印象的で、戦争中だったから「九軍神」が必要だったのか、皇国を守る為に必要だったのか「平和」を維持する為にはどうすべきだったのかを考えさせられる追悼式でした。
1941年12月7日夜(現地時間7日未明)、真珠湾まで約20キロの洋上に潜水艦が浮上した。甲板には特殊潜航艇が取り付けられている。はるか遠くに島の 灯火(ともしび) が見えた。
「本日栄誉を担って壮途に就く。誓って皇国のため攻撃を決行する」。直治さんはそう言い残し、特殊潜航艇に乗り込んだ。防衛庁の公刊戦史「戦史 叢書(そうしょ) 」は、出撃の様子をこう記録している。
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