北方四島は日本の領土返還なくして「戦後」は終わらない

平成30年度 北方四島交流訪問事業(第1回・一般)参加所見

群馬県隊友会長 小島 健二

平成30年7月26日(水)から31日(火)の間、「独立行政法人北方領土問題

対策協会」(以下北対協という。)が実施する「北方四島交流訪問事業」に、公益

社団法人隊友会から推薦され「北方領土返還要求運動連絡協議会」(以下北連協と

いう。)の団員として参加する機会を得た。

団員64名は北連協事務局長児玉泰子氏を団長に国会議員等、北対協、北連協、

交流専門家、北方領土元居住者、報道関係者、政府関係者、医師、通訳、事務局

から構成されていた。

2012年12月衆議院選挙直後の記者会見において総理就任前の安倍自民党総裁

は、日ロ関係の重要性を強調しつつ、日露関係を改善していく中で、領土問題を解

決して、平和条約の締結を希望する旨述べました。

2013年4月安倍総理は日本の総理としては十年ぶりにロシアを公式訪問し、プ

ーチン大統領と日露首脳会談を行いました。

2016年5月ソチで行われた日露首脳会談で、今までの発想にとらわれない「新

しいアプローチ」で交渉を精力的に進めていくとの認識を両首脳で共有しました。

そのような中で、現在国後、択捉島の代表者、住民が日本に対してどのように考

えているのかを知る良い機会であった。

交流訪問事業の目的は領土問題が解決されるまでの間、日本人と四島に在住する

ロシア人との民間レベルでの相互理解の増進を図ることであり、児玉団長以下各団

員の熱意と努力により所期の目的は十分に達成されたと思慮する。

国後島1日、択捉島2日で訪問先、視察先は20箇所、日程の割にはかなり密度の

濃い事業であった。

島の代表との面談は極めて友好的でビザなし交流の成果が感じられた。

一方博物館視察の際の案内係の説明には違和感を感じた。「戦後、再度ロシア領

(ソ連)になった」と言った事である。1855年日魯通好条約で始めて国境が確定さた

のであってそれ以前はどちらの国の領土でもない。戦後日本から奪い取っただけのこ

とである。きっと、 マニュアル通りの回答をしたのであろうが歴史認識が大きく異な

ることを再認識した。

択捉島紗那墓地墓参、われわれの交流訪問事業の一週間前、航空機利用による関係

者等の墓参が行われ、墓地はおおむね綺麗に清掃されており、当初予定されていた草

刈は行われなかった。日本人にとって墓参は意義深い事業だと思う。

住民交流会、小箱作り、アクセサリー作り、布草履作り共に参加者で満席。ロシア

人の子供もご両親等も大喜びで、住民交流会は大成功だと思う。

択捉島オダイバケ温泉、温泉といっても水泳パンツ等を身に着けて入るもので、日

本の温泉とは全く異なるものである。帰宅後同行したフジテレビの記者の温泉風景が

放映された。まさに観光スポットであるとの印象を受けた。共同経済活動の事業化で合

意している観光ツアーの目玉になると思われる。

ホームビジット、今回の交流訪問事業で心配はしていたが、もっとも楽しみにして

いたのはホームビジットである。若いスタイルの良いお母さんと、賢そうな6歳の息

子さん、黒い大きな猫、グレイの子猫が迎えてくれた。通訳の方が来るまでは悪戦苦

闘、自己紹介の後は四島交流の会話集を頼りに交流に努めた。私が知りたかったこと

の一つは、なぜ択捉島に住んでいるのかということであった。通訳のおかげで祖父母

の代から住んでおり、息子さんは四世代目であることがわかった。それなりに島での

生活に満足している様子であった。

択捉島ビラ海岸散策、今回の交流訪問事業の内、数少ない観光が目的の場所である。

車高の高いトラックバスに揺られ道なき道を走行、いたるところに湿地帯があり、

草花が咲き誇りとても綺麗であった。蝦夷キスゲのオレンジがかった黄色の花が特に

印象的であった。ビラ海岸の絶景は日本では見ることのできない「秘境の旅」とでも

称すれば温泉同様観光ツアーの目玉になると思われる。

紗那下町散策(旧日本学校)、日本人が住んでいた痕跡を残しているのが墓地と旧

日本学校である。門柱には何も書かれておらず、旧校舎はかなり老朽化している。

何らかの形で残す努力をしてもらいたいと思った。

夕食交流会、国後島、択捉島での夕食交流会の歓待ぶりは筆舌に尽くしがたい。

民と民の強い結びつきが、国と国の困難な問題解決に一歩でも近づくことを切に願

った。

帰宅数日後、読売新聞に同行記者の記事が掲載された。記者の目は私の目よりかな

り厳しく映っていたようである。「日露両国の経済活動をめぐる協議が進まないのを

尻目に、中国企業などが現地開発を後押ししている。」また水産加工場に「クリルは

ロシアの土地」というスローガンが掲げられていることを掲載していた。中国の「漁夫

の利とならないよう、北方領土での共同経済活動が事業化できるよう進展を期待してい

る。

また8月7日、産経新聞に「択捉島に戦闘機配備 政府露側に抗議」の記事が掲載

された。スホイ35は第四世代戦闘機で極めて高性能の戦闘機である。ロシアが進北方

領土で軍備増強を進めているのは遺憾と思い、北方領土問題は粘り強く交渉しなけ

ればならない問題であることをあらためて認識した。

観光ツアーの交流事業のためには、ビザなし交流の拡大が不可欠であり、根室港と国

後、択捉島の航路の開設、北海道の飛行場と択捉飛行場との空路の開設の方向に進めら

れることを願っている。人の交流のみではなく、野菜等の生鮮食品の移動も可能になり

国後、択捉島の居住者にもメリットがあると考える。

沖縄には、返還前戦後施政権が米国にあったときでも、日本人はそのまま居住してお

り、米国人は軍人を除けば一般人はほとんど住んでいなかった。一方旧ソ連は日ソ中立

条約を一方的に破棄し、終戦後ヤルタ協定を根拠に北方四島を侵略後、すべての日本人

を島から追いやり、その後には現在四世代までが居住している状況となっている。北方

領土問題の解決の難しさは沖縄とは比較にならないと考えられる。

1981年9月27日、納沙布岬に北方領土返還祈念シンボル「四島のかけ橋」の建設

委員長であった末次一郎氏(沖縄返還にも尽力された。)は「北方領土の返還が実現

しなければ、『戦後』は終わらないと言い遺している。

領土問題を解決し、日露の平和条約を締結することは、日本の安全保障環境を今よ

りはるかに強固にすることは間違いなく、難しい問題であるからこそ、それぞれの立場

を越え国民一丸となって、政府を支え、後押しすることが不可欠であると考える。

われわれ団員ができることは解散後にある。何度も強調されたが事後活動の徹底で

ある。北方領土問題意識の普及高揚に努めたい。

北連協で実施した事前研修を含め本交流訪問事業間で団員の皆さんと相互理解を深

めることができたことも私にとって大きな成果であった。

北対協、北連協をはじめ関係者皆様に深く感謝申し上げます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


画像を投稿する(JPEGのみ)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください